春の陽気と便意は似ている

映画館の外はまだ明るくて、それは確かに新しい懐かしさ

湯船から出られないまま8時間経った日の下書き。

一度湯船に浸かってしまうと、出るのに物凄い体力を使う。湯船から出られず、気付いたら8時間経過していた。寒くて出られないわけではなく、行動を起こす体力が無いため出られない。

 

湯船に浸かるために行動ゲージを消費してしまい、出るための行動ゲージが足りなくなってしまう。

風呂を出てからのタスク(髪を乾かす等)を想像するだけで実に身体が重い。水圧に押し潰されてしまう。

お風呂好きの長湯ではなく、ネガティブな理由の長湯だ。

 

(同じような理由で、車で帰ってきたとき、運転席から降りれずに3時間くらい経過することがある。ひどいときは8時間くらい経つことも。)

 

まともな人間が会社で労働をしている程度の時間、お湯の中で延々と何かを考えたり本を読んだりスマホを見たり。

 

 

バグっているので時間の感覚があまりない。

人に待たされることに対する抵抗がないので、人を待たせることに対する抵抗も同じだけない。

共通の時間を共有して成り立つ社会において、これはあまりにも不適合すぎる。

 

 

他者の欠陥のすべてを許容するので、おれの欠陥すべてを許容して欲しい。

 

 

 

以下思想つよつよ話。

 

時間とは本来神秘性を帯びているモノであるはずだが、時計の発明によって、切り売りされる資本主義の商品と化してしまったらしい。

参照記事

https://courrier.jp/news/archives/251403/

 

有機物が朽ちるまでのそれぞれの間隔を時間という共通言語で分け合った。奴隷の労働力を数字で割って商品とした。私は一刻も早く無機物の中で4次元になりたい。ノンケミカルで神様に会える。確信している。確信ほどくだらないモノはない。そしてそれらすべては話半分。風が吹けばまた次の風邪を引く。医療、科学、デザイン、分かる。

 

そんなこんなで時間軸が違うため、朝も夜も季節もなく、ただ暑かったり寒かったりしながら、ぼんやりしている間にまた5年くらい過ぎてしまったな。

 

 

1月は調子が良かったが、2月に入って実にヘビーな反動が来ている!

 

遊びに行く等、色々と誘われる人になりたいものですね。

 

湯船8時間は確実にバグ。

夜行バスは大阪へ向かうと、下書きばかりが溜まっていくので。

1月、4本くらい日記を下書きに書いては、そのままにしてしまっている。

あとで読み直して、時差がある上で残しておこう。

 

 

今は兵庫県へ向かう夜行バスの中。

自力で運転して行こうかと思ったけど、あんまり機材量は必要なさそうだったので、たまにはバスでだらだらと。

 

昔は窓の外を眺めていれば1曲分の下書きが生まれて、パーキングエリアでメロディになって、家に帰ったら歌になってたな。

 

感じたエモさが極端に浅いモノだとしても、本人が100%感動してて、それを120%で表現してれば、“120%で表現している!”という行為そのものがエモい物になるんですよね。

大学の頃の曲の詞は実に浅はかな表現ばかりなんだけど、100%本気で思ったそれを、120%本気で表現してるから成立してる。

このあたりの感覚、いつかもう少し整理して言語化しないとな。

 

 

 

夕日が赤いってことに本気で感動した人間が書く「夕焼け」ってワードは、慣用句として使い古された真っ赤な夕焼けとは大違いなんだよ。

 

https://youtu.be/1geYbYbHpw8

この曲は、エデンの園っていう障がい者施設で組まれたグレープフルーツってバンドの音楽で、本当に好きで感動した曲。

ボーカルの方は全盲なんだけど、その方が書く「夕焼け色が見える気がした」って歌詞、本当に美しい。

見えないはずの景色や色を、それ以外の5感で表現している。

この音楽を聴くと、おれも夕焼け色が見える気がしてくる。

 

 

最近は中々エモさの感度が鈍っていたり、逆に極端に尖っていたりして、普遍的な部分で人々と分かり合えることが本当に少ない。

数少ない友達には本当に感謝しています。

 

 

0時を回り夜行バスの灯りが消えました。

 

 

移動の時間って色々出来る気がして良いよね。

新幹線で溜まったちょっとしたタスクを片付けていく瞬間とか。

 

今日は時間の限り、Kindleメイドインアビスを読み進める。もっと広く色々見聞きする!!!

 

 

追記:小6学芸会の真っ暗な体育館よりもワクワクする真っ暗を今のところ知らない。次点で青い部屋の一つしかない窓を開けたときに息を潜めたあの真っ暗。

消灯した夜行バスの中でそんなことを思い出してた。

 

到着。

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“今年は”という枕の期限。

1月半ばまでそれなりに調子よく過ごせているはず。

ブログを始めてみると、意外と書くことが無いことに気付く。

労働ばかりの薄っぺらい毎日だ。

(仕事、とは言いたくない変なプライドにより敢えて自嘲的に労働という言い回しを使う。この感覚は、高校生の頃の“バイト”のことを仕事と言えてしまう人々に対する違和感の延長線上にある。)

(実に働いていない人間の顔つきである。)

 

仕事と労働の違いについて、考えるのもダルいのでググる

以下【仕事 労働 違い】でググって出てきた1番上のページより引用。

 

ドイツの哲学者であるハンナ・アーレントは、「人間の条件」という本の中で「仕事」と「労働」を明確に区別しました。

 
アーレントによれば、仕事と労働は以下のように分けられると言います。

仕事とは「人間の個々の生命とは別個に、世界に存在し続けていくモノの創造に関わる営み」
労働とは「人間の肉体によって消費される、必要物の生産に関わる営み」

 

とのこと。

 

おれが今金銭を得るためにしている活動のすべては労働だ。そしてそれを縛るモノは生活である。本当なら今すぐにでもすべてを捨てなければいけない。

 

そしてググって出てくる情報のすべてに価値は無い。

 

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本題。

「来年は、今年は、」と、何回言い合っただろうか。

この時期は目標を語り合うことが許される気がしてとても居心地がいい。

暗黒の00年代を経由した人間にとって、意識を高め合うことは実に恥ずかしい行為だ。意識高い系を揶揄してきたツケが今になって回ってきた。しかし年末年始は浮かれた街の温度に合わせて色んな目標に本気になれるような気がしている。

そんな気分で大口を叩いて回る。

こちらはYouTubeの人気チャンネル令和の虎でお馴染みの岩井社長とトモハッピーさん。店長会にて。ガーシーさんや竹之内社長の件なども含め、今一番“インターネット”している界隈だなぁと思っている。

 

低い日差しが団地に落とす陰に年末年始を感じる。第四学区で生まれ育った性だろうか。

 

「今年は、」はいつまで有効?

Googleトレンドで調べてみる。

「来年は、」は11月の終わりから少しずつ顔を見せ始め加速するが、12月31日できっかり終わってくれる。また、12月中における「今年は、」は総括する意味合いでも使用されているのだろう。

 

1月に入ると一気に今年はが優勢となる。

 

4月頃に「今年は」が少し盛り返すのは年度の変わり目によるものだろうか。

 

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12月はすべてを諦めることが出来るので好きだ。

1月の希望は早いところ形にしないと、呪いのような反動が来て動けなくなってしまう。

 

「今年は、」という魔法の言葉は多分継続している限り有効なのだろう。

期限のあやふやな「今年は、」が12月31日までしっかり続けば良い。

 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

(はてなブログはネタに困らぬよういくつかのお題を設定してくれている。それに則ってお題を借りる。テーマに沿った文章を書けば多少はアクセス数も増えるであろうという淡い期待を込めて。)

以下目標

  • 毎日カメラに触る。
  • ダイエットをするし、美容などにも気をつける。
  • ミノキシジル(個人輸入したハゲ対策の薬)を毎日欠かさず飲む。
  • Webやインターネットに詳しくなる。
  • 労働をせずとも金銭面の不安がなくなる仕組みを構築する。
  • トランペットを吹けるようになる。
  • 最低限の英語の勉強をする。

無難な目標を書き連ねる。

本当は考えれば考えるだけもっとたくさんのネタがあるけれど、それはひとまず小出しにしていく。

 

 

いい感じに撮れた写真を貼っておしまい!

 

やがて思い出すために相応しい景色

秘密基地以上、家未満。

引っ越しました、ど田舎タウンへ。

6LDKの一軒家で家賃約10万。

 

 

ただの住宅でしかなかった空っぽの部屋に、見覚えのあるモノたちが並び始めた途端、「どうやらここは自分の部屋のようだぞ」と不思議な感覚が時差でやってくる。

構成する要素の一つ一つは確かに馴染みのあるモノなのに、知らない場所に並んでいて、パラレルワールドみたい。

 

ずっと帰る場所が無いような気持ち

小学校入学まで住んでいた板橋区志村のマンション

大学卒業まで住んでいた豊島区西巣鴨のマンション

その後高校の友達らと始めた北区十条のシェアハウス

今は全部無くなってしまった!!!
だけど、どこかに帰りたいというわけではなく、帰るという感覚や実感がどこにも無い状態のままフワフワと宙ぶらりんな気持ちだけが続いている。

引っ越してきたこの家も、秘密基地の延長線上みたいな感覚。

どこかに帰る日なんて来るのかな。

 

内見に来た時の印象は、冬なのに夏休みみたいな家だなぁと思った。

いつまでも生活とは無縁でいたいものだなと思う。

 

 

youtu.be

北区十条はこどもの日がずっと続いた家だった。

そんなGWが終わり、次はずっと夏休みの家と町。(写真はどう見ても真冬ですが、その辺りは気持ちの問題です。)

 

やがて思い出すために相応しい景色

起きた出来事はすべて素材でしかなく、それを後々どう活かして編集するかに掛かっている。

未来の自分の編集力が試される。

今の感情、これも素材だ。

なるべく多くの感情と景色を集め、未来の自分に託す。

それは悲劇にも、喜劇にも、感動のドキュメンタリーにも、脚色された物語にもなり得る。

ただそれだけのこと。そんなことを内見に来たときに思った。

 

↓そのときのメモ

 

 

家の周りに可愛い猫がいる。まだ仲良くないけど、餌付けて手懐けたい。

 

車で少し行くとパン工場がある。この付近は町中に焼きたてのパンの匂いがして、購買意欲をそそられる。太っちゃう。

 

今は1週間くらいコヤツくんが泊まりに来ている。

ジョルジョデコヤツ、良い音楽を作る人です。要チェック↓

www.youtube.com

 

 

昨日はみつまさん、まよさんが犬を連れて遊びに来た。

 

 

色々とWeb全般に詳しくなりたい。ブログもガンガン作ったりとかしてみたい。

締め方が分からない!おしまい!

 

 

靴の中の小石が取れない!

靴の中の小石が取れない!

  • ジョルジョデコヤツ
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今年はモテたい、万人に好かれたい。

タイトルはSACOYANの名曲より。

他人の普通、に身を委ねるということを積極的にしていきたい所存。

文章を書くのは苦手だな。

ぶつ切りでゴロゴロの言葉の塊をとりあえず煮込んだカレーって感じ。

 

今年こそは今まで出会えた全ての人々に会いにいく!

みたいなやつをやりたい。1年で100人に会うことを目標に。

インターネットにも詳しくなりたいから、SNSやこのブログで練習をする。

トランペットも吹けるようになりたい。

 

目標ややりたいことを書き出すにはこれは余りにも下書きすぎるが取り急ぎ。

 

そしてこれからトモハッピーさんらの新年会へ。

強い人々に会っても対等でいられるようになる!

 

 

Yomosue [MTPL-001]

Yomosue [MTPL-001]

  • アーティスト:SACOYANS
  • MULTIPLE RECORDS
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